2006年6月5日
人は死によって肉体的個人の一生は終わりますが、
日本人は「死が生じたとき、その家族と、その人が生前かかわった地域にとって、
生命【いのち】の絆をどのようにして次に継承するかを
重大な危機と考えています。
清浄を尊ぶ民族性は、「死の忌み」がその人のかかわった地域に広がることを忌み、「死」が生じた場合には、死者に対する儀礼が十分に行なえるようにと、火と食事を別にして遺族のみが集まって、死者に対する祭りを懇ろに行ない、死の忌みに触れることを限定してきました。
こうした状態を「死忌み」「黒不浄」「服忌」「ブク」あるいは「ヒガカリ」「シニビ」「ヒガワリ」と呼び、この期間は世間との交際を絶ち、生産活動を休み、神社にも参らず、静かに慎んで死者の祭りを行なうことに専念するものでした。
人の死を畏れ(おそれ)忌(いむ)むことで、死を悼み、死者の御霊(みたま)をなごめるため期間のことで、神道では最長で五十日です。
この期間の内にあることを「忌中(きちゅう)」といい、自分が忌(いむ)む状態にあることで、この期間が過ぎると「忌明け(いみ(き)あけ)」となります。
忌の期間にあっても、やむを得ない場合は適宜短縮しても差し支えありません。 その地域の慣例により異なる場合があります。
亡くなった人 | 忌の期間 |
---|---|
同居している人(本人との関係にかかわらず) | 五十日 |
亡くなった人 | 忌の期間 |
---|---|
父母・配偶者・子(七歳以上) | 十日 |
七歳未満の子 祖父母・孫・兄弟姉妹 配偶者の父母・配偶者の子(七歳以上) |
五日 |
曽祖父母・ひ孫・甥・姪・おじ・おば 配偶者の子(七歳未満)・配偶者の祖父母・配偶者の孫・配偶者の兄弟姉妹 |
二日 |
高祖父母・やしゃご・いとこ 兄弟姉妹の孫・祖父母の兄弟姉妹 配偶者の曽祖父母・配偶者のひ孫 配偶者の甥・姪 配偶者のおじ・おば |
一日 |
もともと人の死を悲しんで喪服を着ることをいいました。忌の期間が終われば日々の生活は平常に戻るわけですが、故人を追慕する情や社会的道義の上からも、なお当分のあいだ喪服を着て晴れがましい場所に出ることを控えたいと想うのは自然なことです。このように身を慎みながら、悲しみを乗り越え、平常心に立ち返ろうとする期間を「喪中(もちゅう)」といいます。
服の期間は、本人の哀惜の情によって決められるべきで、一律に日数を区切って規定するものではなく、それぞれの心情に委ねられます。普段の生活に戻るための「心のけじめ」をつける期間として、慎みを表しつつ平常と変わらぬ生活を送るようにしていきます。
死の忌みの期間と儀礼には生活変化に伴う諸事情(期間の短縮と儀礼の分化や省略・遺族以外の参加者の増員など)によって、死の忌みの観念が薄れつつありますが、この期間は、最も悲しく心が定まらず不安定な状態にあるなかで、故人を通して、その家の先祖代々が守り伝えてきた大切な心が、子孫へと継承されなければならない重要な期間でもあります。大切なものを見失わないため、慎ましやかな生活が必要となります。
人の生命(いのち)は神さまから頂いたもので、清らかに輝いたものです。私たちはこの生命を曇らせることなく日々を生き、生命(いのち)を次の世代に伝えてゆくべく、努力しています。しかしながらこの生命の輝きを曇らせる、不吉と想う心や、怪しく忌まわしい状態が身の回りに存在します。これらを「穢(けがれ)れ」と呼び、嫌悪しています。
不幸が生じたことによる、別れの悲しみや不安は「穢れ(けがれ)」とされ、それらは参列者や地域にも及び、この危機感を断ち切り、生命の輝きを取り戻すため、帰宅のときに塩をまいて「浄め」ます。
※参考文献 埼玉県神社庁教化委員会「忌服」